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根底の信頼

根底にある信頼というのは、たぶん地球体験で人間をしている多くの存在が人生の途中まで見失っていて、やがて「自分とはどういう存在なのか」という普遍の真実に気づいていくにつれ、取り戻される。

私の場合は根底の信頼を真の意味で忘れたことは一度もなかったが、人間に一体化しているときの自分を信頼できずにいた。

私の中ではその点で、あちらの自分とこちらの自分というように、「非物質領域の私」と「物質的体験をしている私」との間に信頼度の違いを作っていたのだ。

自分の内のその様相は、そのまま外に反映されるので、私は人間の作る世界への信頼を持てなかった。それは言い換えれば、人生を信頼できないということに等しい。
もちろん、自分のそのような人生体験の中でも、信頼できる領域というのは部分的にあったのだが。

それがようやく、根強く自分自身と普遍の真実を見つめ続けることにより、私がずっと疑問を感じていた、
「この現実」
「この私」
という物理的体験の最中にある自己に対しても、根源的信頼が浸透してきた気がする。

その目印や後押しとなるのが、私の体験している現実だった。
自分の鏡の役割をしてくれるような「人」が、私の人生に現れて教えてくれた。

私にとってそれまで苦手分野だったタイプの関係の中でも、
この人のことはどうしても信頼できる
という「なぜだかわからないけど感じていること」が変わることがない。
その確信に抗えないのだ。

それは、行為や行動の側面を体験しながら育むというより、そもそも最初から、
私は結局、この人のことは信頼し続けるだろう
という謎の感覚として内にあり続けている。

どんなに私の分裂した自己、断片化した一部が、過去の経験と観念からネガティブなものの見方を自分に吹き込んでも、その深い信頼感の方がはるかに勝っている。

表層の私は様々な誤解をすることが可能で、心を揺らがせたり、色々なドラマを思考したりするのだが、それにも関わらず、本当は知っている。
そんなことでは覆しようがない、この人・存在への、根底の信頼があることを。

その感覚を、この現実体験では他者に対して抱いていると同時に、実は自分に抱けるようになっている信頼と同じものであることも、知っている。

今はまだ「空騒ぎ」の余地があるのだが、
最終的には、この信頼に統一された自己がすべての主導権をとるのだと確信している。

その真実に私がサレンダーし、自己をひとつに融合する日は近いだろう。