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目利きっていうものが必要なんじゃないの?【各々の中に】

インターネット上で繰り広げられる世界はまるでそれ自体がたくさんの仮想世界のようで、あまたのパラレルに触れるようでもありますね。

そこから様々なムーヴメントが生まれ実社会に影響を与えることはもはや当たり前になっていますし、興味を持てば誰もがアクセスできる「見える化」した形のものも多々あり、そのありさまを観察することもできる。

自分の関心にかかる分野や、自分自身の興味とズレていてもフィールドとして重なる部分があるのかなと思うところは私も眺めてみることがあります。
気が向いたらですが。

そういうときにはなるべく幅広い視野で、先入観持たずに、まっさらな気持ちで見るようにしていますが、それにしたってよく思うのが、
目利きっていうものが必要なんじゃないの!?
ということです。

これは私になじみのある「スピリチュアル関連のフィールド」においても、ネットに限らず実際に行われているイベントや講座、セッションや書籍などについて元々、よく思っていたことでした。

今ではネット上のあれこれに対しても同じことを思うなぁ、という感想です。
情報のジャンルとしてはスピリチュアル分野に限らず、政治や経済、健康、暮らし、社会全体……すべてがね。
その傾向はますます激化してるというか。

「あらまぁ、明らかないんちきが混じってますよ」
という内容でも、多くのフォロワーや賛同者がいることが見受けられます。

これを見て、あからさまな嘘があることがわからないのだろうか?
発信者本人の、おかしな様子に気づかないのだろうか?
……私はそれ自体が信じられない思いになるのです。

思想の正しさうんぬんの話じゃありません。
思想は色々あっていいと思います。

そうではなく、この人は話を完全に盛ってるよ、とか、作り話してますよ、ホラですよ、そういうレベルの話です。

さすがに、こうしたものは見抜けるくらいの「目利き」の感性がないと……こんなにも玉石混淆にしてしまっていいの?と思うのです。

自分の心で精査することをせず、そういった発信者の牽引しているルート・世界観に乗ってたら、いつか難破しちゃうのが見えてるよ、
……そう思うけれど、発信者に勢いがあったり、主張の中に「共感したくなるポイント」がある人にとっては、自分を満足させてくれる劇場になるのでしょうかねぇ。

私が最も気になるのは、そうした発信者本人のことです。
なぜその人は、そのような発信をあえてしているのかということ。

お金儲けや、有名になりたい、注目されたいなどの承認欲求であればわかりやすい。
でも、嘘の規模が大きいと、そこまでして「得」になることってなんだろう?失うものの方が多いのでは?と、私は考えて疑問をおぼえてしまいます。

嘘のストーリーを語っているうちに、本人がその世界観に飲まれてそれが本当だと思い込むようになるのでしょうか?
それとも、心から、何らかの妄想の中に入り込んでいるのか。この場合、本人にとっては嘘ではないつもりなわけですが、心の奥底では自分の明らかな矛盾・分裂に気がついているものなのです。

あるいは、表向きの発信者はマスコットにすぎず、そうした言動を裏で指示する人や団体があるからか(これは近年になって目立ってきているところ)。

それらの情報を信じる人たちも、少し調べればけっこう色々なことがわかるものなのですが、そうせずに目をつぶっているのでしょうか。

たとえば、私が不思議に思うのは、こんなケース。
とても知識のある一般人のテイで、世界の裏情報などをたくさんの記事に熱心にしたためている人がいて、その界隈ではちょっとした頼りがいのある有名人のようになっている。
その人の披露している知識や考えは、その世界観に飲まれて読んでいると「勉強になるなぁ、確かなのだろう!」と思える説得力があるとします。

ところが、その人のアイコン画像や文章をよく見ると、壮大な違和感がぬぐえない。
名前は偽名に違いなく、ネットではペンネームやハンドルネームを使うのは普通なのでこれだけなら特に気にならないですが、アイコンが妙に違和感あるので画像検索すると他者の写真を流用しており(容姿に好感を持たれそうな女性やセクシー風の女性画像などありがち)、文章からも「女性のフリをして書いてるけど男性ですね」とわかる箇所がところどころにじみ出てたり……と。記事にもわざわざ「女性の日常」的な設定を時折入れてるのですが、女性の視点から見るとそうではないとわかってしまう。
これは一例ですが、そのように何かしら「おかしい」とあからさまに感じられる箇所があります。まともに見れば。

ただの創作活動としてなら、そのような使い方は別にありだと思います。
でも、信頼感の求められる「真実を明らかにしよう!」的な内容において、発信者本人がわざわざ偽りの設定を使っている様子では、説得力がなくなりませんか。
「人を釣って読ませたい意図があるのか」と、妙な戦略のにおいが漂います。

そして名前も顔も出している人の発言・活動であっても、前述の通りであることを観察していると、
私は「その目的はなんだろう」と、考えます。

なお、発信者の語る内容が偽りであると気づくとき、それは私の霊能力によるものでも霊眼のせいでもなく(もちろん、厳密にどこからどこまでそれを使っているかという風には切り離せませんが)、
ただただ自然な「違和感」や「矛盾」から感じているものです。

そういう違和感をおぼえるとき、自分自身で引っかかるキーワードや気になるところを多少なりとも調べる意欲があれば、あっけなく「嘘」「虚言」と判明することはよくあるので、あなた自身が感じることに注意しましょうね。

そうでないと、自分で考え、調べる、追究してみるということすら怠るようになってしまいますよね。
するとその先にあるのは、「人々の集合や確かそうなものに従うルート」です。

あなたはあなたの現実、経験全体の創造者であることを思い出し、自分で「選べる」こと、
「存在の普遍の真実」に根差した視点の私として人生を創れることを思い出しましょうね。