人間というのはショッキングなほど、心の声が割れてる場合もありましてね。
たとえば自信満々に見せてる人が、実はものすごーくコンプレックスを抱えて自信のない人だったり、
爽やかな笑顔で相手を思いやってる人が、内心はそうやって「媚びて」ないと社会を生きていけない(好かれない)と頑なに信じてる心の持ち主だったり、
……ん、なんかこれってやりすぎじゃない?
ハタと、ある程度エネルギーを感じる人ならばそういう不自然さには「気づく」ものなんですよ。
ごめんよ、今年からはあらかじめ宣言してる通り、私はオブラートにくるみません。
やや耳の痛い話に聞こえる場合があるかもしれないけど、人間社会でのこうした「二重のメッセージ」を否定せず、ありのままに観察できることは大切です。
だから、書いてます。
核心にふれるようなこういう話題を、今はつらいな、と思う人は、無理しないでください。
読みたくなったときに読みにきてね。
でも、こうしたお話をしっかりしておかないと、あなたは、あなたの感じることを否定するという、
今度は「自分に嘘をつく」癖が常習化してしまい、自分を信頼できなくなるからね。
人間社会の中にはまだ、こういうことは見受けられるの。
やがていつか分裂がなくなる未来があることを、私は理解してるけどね。
ほんの小さな子供のときなんかは、こうした「二重性」をおのずと見抜く場合が多いです。これも個人差はありますが。
でも、どんな敏感な子でもいつしか、大人の真似をして自分も「二重のメッセージ」を体現するよう努力し始めます。
だって、それで社会が成り立ってる現実があったからね。
「周りの人をいい気分にすること」
これを、自分の本当の気持ちや今の気分を観察することよりも大切にし始めるの。
自分の本当に感じてることを犠牲にしていく習慣が、身についていくんだ…。
(心が通い合うことと、本当のよろこびでないのに「合わせる」こととは違います)
痛々しい話だけどね、
過去の経験が人を決めるという意味では絶対になく、ただ、自分自身に「刻印してしまったメッセージ」に気づかず、向き合わずに生きていると、起こりえることとして、
理解してもらいやすい例を挙げるなら、
虐待的な関係のパターンに陥ってる人は、お互いを尊重した健全な関わりを求めていながらも、
「私を虐げてください」
「私は、痛い扱いを受けるような人間です」
というタイプのエネルギー(メッセージ)を発してしまってることがあります。
すると、そのメッセージに見合う相手と必ずマッチするようになるのです。
そのメッセージに合致する、表層上は「行き当たりばったりに見える」犯罪などにも遭いやすくなってしまいます。
ですから、自分の発してるメッセージに注意するということは、自分をよく知る、よく見る、自分に興味を持つということなの。
すべてはそこからなの。
いくら「外に対して怒り続けても」「嘆き続けても」何も解決しないのです。
(自分の怒る感情、嘆く感情自体はあってOKです。打ち消すものではありません。このあたりはいつも説明してるので原理は省きますね)
世の中は、たくさんの「二重のメッセージ」であふれています。
いつもニコニコして笑顔の人が、
「誰か、どうか助けて!」
と叫んでることもあります。
表層では「どうぞおかまいなく~ウフフ」がその人の「見せているメッセージ」でもね。
だからね、自覚的にエネルギーを読める人、感じる人は……
見てしまった「本心の方」を殺すのに加担しないという責任が生じるんだ。
責任というよりも、自分がもし「見えたもの」を無視したら、
気づいていたのに何もできなかったという後悔が生じることになる。
これは無理矢理、誰かや何かの状況に介入したり、相手が望んでもいない交流を持つということとは全く違います。
その点を踏まえて、自分の内なる声が告げる「そのときできるかもしれないこと」については、どんな状況であれやってみる、行動してみるということ。
こうしたメッセージを書くこと自体、
過去にも私は継続してやってきたことではあるけれど、
センシティブな問題(刺激)をはらむので、近年は避けがちでした。
でも……
今から十何年も前の、2012年の3月29日に旧ブログでこんな記事を書いていて、
宇宙人レポート - BEATS AND LOVE
旧ブログ「BEATS AND LOVE」の古い記事に、そうした話題はときどき入れてるのですが、
今、なんか「一巡した感覚」があるんですよね。
私がやろうと決めたことは、私はやっぱりやるようにできてるというか。
こうしたトピックを素通りできない、私に少しでもできることがあるなら、これについてもふれる発信をしていこうと……
誰もが、自分自身に価値を置き、自分の感じ方を尊重できる社会へ。
それが他者を「本当に尊重すること」の道なんです。
矛盾・葛藤を超越できる唯一の方法
なお、こちらが「核」になりますが、
自分自身の矛盾、葛藤、二重のメッセージを超越する方法はたったひとつです。
シンプルです。
ほかにありません。
あなた自身を生きてください。
誰にどう思われようとあなたを生きます。
あなたの内との繋がりを絶たないで、あなた自身になってください。
BE YOURSELF.
あなたにあなたでいてほしいというのが、神様(創造主)の願い。
全体の願い。
これは、外からの反応や、誰かの評価を気にしてものごとを決定する自分自身のことではありません。
大切な人たちを悲しませたくないとか、その人たちの気分を損なうことや態度が変わってしまうこと、去られることなどを恐れて……意思決定する自分のことではありません。
どうしても私たちは人間関係や社会の中で生きているから、そこを白紙化して考えることが難しいと感じる人もいるかもしれないけど、
仮に、
なんにもない。
ほかに誰もいない。
「これは私、たったひとりだけの夢」
そうであったとしても、私はこうだという「内から、ただ湧いてくる私」のことです。
それになろう!