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規模感アップがキーだった【私の女性性の拡大】

ここ二日ほどは珍しく、インプットの作業に集中してました。
自然な流れで、自分自身の内なる声に導かれて、です。

ここ何年もまず自らはチェックしなかったタイプの情報を、いくらか見てみる気持ちになりましてね、
それも完全に、直観に従ってサーチしていった結果、満足する成果が得られました。

私は外の情報、つまりこの現実世界内で自分が何かの情報に接するときにも、それを見たり読んだり体験したりしてるときの私自身が「何を感じてるか」に注目してます。

外と同時に内を見てると言えば伝わりやすいでしょうか。

ですから、そこから得る実りとは、情報そのものではなくて「自分を知ること」です。

今回、振り返ってみて際立った特徴に気づきました。
それは自然と私が興味をひかれて見ていった情報、私にとって意味を感じられた情報のすべてが女性による発信内容だったということです。
そうなるように意図して見ていったわけではありません。

はじめ、内なる声に導かれてインプット作業をはじめた「スタート時」には男性発信の情報に行き当たり、それに集中してる間「ナンカコレジャナイ」との感覚でモヤモヤしてました。

その日はそのモヤモヤを突き止め、自分で洗い出していき、翌日を迎えました。
結果としてその「対比」のおかげで、私が本質的にフォーカスしたいところ・してきたところがはっきりして、たまたま見たその情報のどこが自分にはズレているのか、全然響かないのかがわかりました。

一見、私自身が扱ったりしそうな情報に近いのに、何がまるっきり違っているのかという点をおかげで明確にできました。

すると翌日、直観に従って今度、私がサーチして出会った情報は女性発信のものばかりだったのです。

ここで言いたいのは、男性が……女性が……という属性の話ではないです。
今の私が、ちょうど自分自身の「女性性」を拡大している最中だったということがわかったのでした。

これは大きな驚きで、新鮮で目からウロコの発見でした。

これまでの私がなじんで、使ってもきた女性性の「規模感アップ」が進行していたことが、やっとわかりました。

その途中では規模がすっかり変わるために起こる、耐え切れずメリメリいうような「痛み」すらありました。
昨年の末頃から私は、否応なしに自分自身の女性的な部分と向き合うことが続いてました。

何を女性性と思い、何を男性性と思うかは人それぞれでしょうが、
一般的には女性原理と男性原理は、陰と陽、内と外、非物質世界と物質世界……などと対照させて考えられています。

そして私の場合は、今回の人生の個の表現も「女性」です。

もちろんひとりの人の中に女性性も男性性も両方のエネルギーがあり、どちらも統合させてバランスがとれることが理想です。

しかし、とにかく私は、この半年くらいの間、自己内の
「女性性、痛みすぎてない?」
というところを表層的には見ていて、
それは裏返せば私の内の「それを支えている男性性」にもかかってくるのですが、なんだかとてつもない「変容のプロセス」に直面してる自覚があったのでした。

noteのこの記事(★「地球ゲーム、乙。」)をはじめ、昨年末のnote記事の中でも、
「女性モードに偏りすぎてるとき、心の中の主語を男性の一人称に変えてみる」
などの工夫に言及してるのも、そのせいです。

これまでの人生で私は、そこまでの必要性は感じなかったのですが、今回は、
とても耐えられない!
と思ったので、そのように「極まってるエネルギーを逃す」手法まで試みていました。

だけど今、この気づきによって、とてもすっきりしています。
私の女性性エネルギーの規模感アップが着々と進行してたのだと腑に落ちたからです。

あまりにその規模が大きくなっていくので、メリメリ、みしみし、基盤が音を立てるほどの強烈さで自分自身に響いていたのでした。

ちなみに、今回私が直観的な流れで目を通していた女性の発信者さんたちの中には私が過去から知ってる方もいて、世代は私よりけっこう上の方なのでした。

私が二十年以上も前から知っている方で、今でもその方はパワフルにご活躍で、
といってもプライベートで交流するほどの知り合いではないのですが、私が若かった当時はなんとなくその方を、
「ビジネス的にもやり手の人」
という、あまり良い印象だけではない評価の気持ちを抱いていたのです。

それが今となっては、その方のピュアな側面、尊敬できる、それこそ「果敢な女性性」の側面が感じられるようになったことが新鮮で、現在の私は親しみも感じました。

これは、私自身がすでに大きく変わったことを示してもいるのです。
私が変われば、外に見えるすべてもそれに沿って輝きの側面を教えてくれるのですから。

また、私がこの活動、精神世界やスピリチュアル、人や生き物の「心、魂」にふれる活動を決してやめないであろうことも今回自覚しました。

「現実、イコール、物理的世界」という目線からは、これを優先する私のあり方は「極陰(内向き)」で、ある言い方をすれば女性原理そのもののパワーに集中しがちだったのです。
このことを私は、自分で完全に気に入ってたわけではありませんでした、少なくとも表層的には。逃れられない「呪い」のようにも感じていたものです。

でも、今、私はそれが自分のよろこびであること、
それが私の本質であり、好きでそうしていること、
そうすることをきっとやめられないことを知ったのです。

度々その立ち位置に戻ってきてる気はするけど(笑)、
今の「肯定」はかつてないほど大きな肯定であり、
その「裏側」に位置するように見える男性性や、物質世界をも巻き込む、
ひとつのものとしてすべてを抱き込める途方もない規模のパワーの肯定なのです。

余談ですが、この数ヶ月は「月の周期に同調しやすい」という昔の私の側面が十数年ぶりに戻ってきてしまい、そのエネルギー変化についても疑問に思ってました。
私はそこからは卒業というか、月(Moon)のエネルギーに影響を受けなくなった!というのがずっと自分の認識になっていたからです。

でも、この変容の意味を考えれば(月は女性性エネルギーの象徴になりやすい)、一時的に私がそうなることすらうなずけたのでした。