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本当になんだか終わりそう【認識の土台の採用、終焉】

これまで方便と、それからこの世界に適合するにはこのくらいは必要と信じて残してた分との「認識の土台の採用」が、なんだか本当に自分の中で終わりそう。

言い換えると、あんまりもう自分は乗り気じゃないのに、集合意識的にはまだこれを使っていた方がよさげ?と慮って合意してた認識の土台から、外れるってこと。

自分にもメリットがあると思ってなければそんなことはしないわけで、これまでは、それらを残してた方が「架け橋」として有効だと思ってたんだよね。
もちろん、社会的に・人とのコミュニケーション的にという部分で。

でも、そもそも、その「人」との体験も私の現実(意識がつくっている夢)の範疇にある。

あくまで私バージョンの体験世界(宇宙)であると本心から認識するなら、そこでおふざけしてる場合じゃない。
私視点ではこうだよドーンというのを、自らがエネルギー的にすがすがしく打ち出さないとねぇ。

それは別に、目立つパフォーマンスが必要という意味じゃなく、あくまで心のあり方のことだけど、今まではまだ「ほかの人たちがこうなら、こういう方法を使っておきましょう」というアプローチの順序を残していた。

でも、だめだね。
どこまでも私が体験しているのは私バージョンの夢(宇宙全体)なのだから、その方法では外の変化を待っているようでいて自分が思い切れてないというだけのことになってしまう。

物質世界と非物質世界という定義による錯覚の分断も、
身体と霊という錯覚による分断も、

説明のためには必要として臨機応変に言い換えていたのだが、そろそろもう時代遅れに私は感じている。

どこまでもどこまでも、そうした「忖度」の分までもなくしていくと、私の織り成す私だけという認識になっていき、それが世界である。
それこそが本当の「シンプル」であり、私の知っている最もわかりやすい説明なのだ。

人や、現象や、社会といったものをばらばらにして「言い訳」に使うことを、あきらめた者にとってはね。

やがて地球規模で二元的な世界は終わるのだ……と知っていても、それが具体的にどう進むのかまでは私にはわからないが、
自分の中で起こっていることなら、その都度わかる。

二元的なものの見方があたかも事実であるかのような、その認識の採用が、終わるのだ。