私たちが見落としがち、錯覚しがちなことのひとつは、未来はどこか先にあるのではなく今同時にあるということです。
一般的に人が「望む未来が実現した」とか「夢が叶った」と表現をする場合も、
その人の常時ある「今」が、その未来と呼んでいたエネルギーと同じになった(同質のものになった)ということです。
自分のエネルギーが特定の未来と同質であれば、それはその人の現実になっています。
現代の常識では、一方的な方向性を持つ「過去、現在、未来」という時の流れが信じられていますが、時のない、次元の高い観点からの説明はこうなのです。
私は、昨日の記事の最後に、
『「私の選択する未来」に向けて、エネルギー的にも具体的にも準備している行動の一つなのです。』
という言葉を入れました。
【昨日の記事】
★スサノオ、牛頭天王、インド、鳩、旅と風邪…全部繋がり始めた!【神話と歴史と宇宙種族】
最近のライブでは地続きという言葉をよく用いて、私のお話ししていることはファンタジーではないよということも述べています。
つまりそれは、
意識の変化に伴う現実変化を、「この日常の延長」としてあなた自身はどのくらいリアルに受け入れているの?
ということを確認しているんです。
いわゆるスピリチュアル・精神世界の分野が好きな人の中にも、夢は夢のまま、どこか砂糖菓子の世界のようにふわふわと「こうだったらいいよねぇ」みたいな遠い感覚でその分野のことを話している場合があります。
あるいは、日常と分けた物語、「エンタメ」のような扱いとかね。
その場合当人は「そんなことない」と言うかもしれませんが、スピリチュアル分野のことと今の現実が「同じ」だと本当にはわかっていないのです。
だから別次元や非物質界をどこか「この現実と分けて」特別なもののように捉えているんですよね。
そういう状態だと、スピリチュアル分野に関わることは
「いつかそうなるといいなぁ」
という夢の領域であり、なにか非現実的な神様のような存在やパワーが叶えてくれるもの。
ですから、そういう自分以外の何かに対して、お願いしたり、取り入ったり、気に入られるような生き方をしたり……という「マニュアル」を探すのです。
そうではなくて すべてはあなたの中にあります。
そして時は同時にあります。
あなたが何かを選んで実現するということは、そこに自分のエネルギーを合わせること。
それと同じエネルギー表現になることです。
なぜって、全部があなたの中にある上で、あなたは選択(エネルギーのチャンネル合わせ)をしているだけだからです。
というわけで、たった今の日常から、これを確認することが要になります。
「夢の未来にいる自分から、その行動してますか?」
だって、今は実際にこうなんだもん!
夢と現実は違うんだもん!
そう言いたくなるとき、今のエネルギーの延長を未来に持ち込んでいます。
私は同じエネルギーで生きるぞ!という宣言・選択をしているんです。
たとえばね、スピリチュアル分野を好きな人たちの中でやはり見かけることがあるのですが、
「お金のなくなる未来に生きたい」
「戦争のない平和な世界が実現しますように」
「地球外の存在や別次元の存在たちと、自在に交流したい」
そう言いながら、自分の日常ではその前提とまったく異なることをしている。
これは目の前の現状を否定しましょうという意味ではなく、エネルギー的に何をしているかという意味でです。
「いつか、そうなるといいなぁ」と言いながら、それに反するような現状を憂い、嘆く。
そして外に見える世界や人々という自分以外のものに変わってもらおうとする。
「自分のエネルギー」はどうなっているかを正直に観察する必要があります。
未来から逆算してください。
今の自分と望む未来の自分とのリンクは存在してますか?
同じ周波数に同調してますか?少なくともそこに「揃って」ますか?
私は先日、音楽の紹介という形でこの記事を書きました。
★意識の真実が歌に!気分は意外な音楽に同調(Girls' Generation・少女時代)
この中で、深い!と伝えていた「Genie」の歌詞のこの部分、
『ツジツマ合わすように運命に飛び乗って
気の向く方へドライブでしょ
世界は意外にも 単純に出来てるの』
これはまさに、未来から今を逆算するあり方を示しているから紹介しました。
「辻褄合わすように運命に飛び乗る」とは、自分が自分の望む運命を選択するということです。
帳尻を合わせるためには「今」始める必要があるんですよ。
エネルギーを自分の目的にチューニングすれば、「気が向く方向」も自然とそのエネルギーに沿ったものにセットされます。
そういうことです。
あなたが現在信じている基準によって、その範囲内で現実・非現実を分けていませんか?
今のあなたは、何を現実としていますか?
よく観察してみましょう。
自分のエネルギーに含まれないと内心信じている何かを、「外からの変化によっていつか実現するように」願うとしたら、それこそ意識の使い方として非現実的な姿勢だからです。