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心のいいねボタン・あなた自身を生きること

私は昔から自分のサイト上で、好きな音楽作品や動画等を紹介することがあるのですが。
実際には、特に紹介してない、ここに載せてない、特定のジャンルを超えて「いいね!」と私が思うコンテンツとの出会いはもっと頻繁にあります。

それらを紹介しない理由は、作者の方が私の知り合いでなく、ネット上で見つけた一般の方であり、なおかつ個人の(仕事等に関係のない)ブログである場合が多いからです。

私は、あえて自分が読むならという意味ですが、人がどこどこに行った、何をした等の記事内容にはたいてい興味がなく、その人の内面世界や思想、哲学、感性などが表現されている記事に興味を持つタイプです。

そうした内容の中で、思いがけず自分と波長が合ったり、心のどこかにふれるような表現があったりすると、インターネットを介してでも「繋がった!」という独特の感じがします。

「琴線にふれる」という表現がぴったりですね。
心の弦が共振するんです。
内面世界ではシナプスみたいなものの一部が、実際に光る感じですよ。

そういうとき私は喜んで、声に出して「いいね!」と言ってることがあります。
作者さんへの賛辞で。ええ、画面に向かって笑顔で(笑)
思わず、拍手したりとかもします。

そう、心の中でいいね!を送っているんです。
その考え、発想、姿勢、生き方は素敵だね!って。

私が感じるそのきらめきは、何かの正誤の問題ではないし、文章等の表現の上手い下手でもありません。
その人を、その人自身が生きようとしてるかどうかなんです。

「ああ、この人は、この人自身を生きてるんだ」
「そのことに真剣なんだ」
ってわかるとき、その途方もない輝きを感じ取り、一緒にインスパイアされるんです。

たとえ、自分は何も活動をしてないって思ってる人でも、それでも心の中は毎日動いていて何かは感じてるものです。
それを自分で観察し、理解しようとし、書いてみたりもするっていうことは尊いのです。

自分の思う「ブレ」すらも、これは何だろう?と真っ正直に観察してると、その表現が珠玉のものになるのです。
特定の表現活動にしなくても、生きる姿勢として表れます。

一方で、どんなに正しいことや、きれいなこと、賢そうなことが書いてあっても、「その人自身を生きる」ことと一致しないヴァイブレーションを感じるときもあります。
「誰かが、どこかで言ってたことをそのまま取り入れてるんだな」と感じる場合も同様で、そういうときには違和感はあれど、きらめきを感じません。

いわば、器と中身がばらばらに見えるんですね。

もちろん、内容そのものが私の共振しない種類のものであるときも響かないわけですが、
それ以前に、その人自身から出てる言葉なのか、そうでないのか。
「ただ単にそう信じて、それがいいものだと思って生きてきただけ」の言葉であるときには素通りしてしまいます。

だから素敵に創意工夫されたサイトでも、内容を見て数秒で離れることもあれば、
たまたま行き合った個人のブログサイトでも、「こんな人がいるんだな」と大いなる感動を得てその内容を読むこともあります。

意識の世界もこれと同様で、いや、むしろその「原型(元)」ですね。
現実になる前の段階から、意識の中にすべてがあります。
その多様で広大な可能性の現実(パラレル)の中で、何に価値を感じるかはあなた次第。

あなたの心のいいねボタンを、何に捧げるかはあなたが決めましょう。
自分自身の内から湧く喜びや情熱をそうやって肯定していくのです。
この方が良く思われそうだから…正しそうだから…なんてポーズは、内なる世界では無意味であり、自分を縛るだけですよ。
なぜなら、その姿勢はそのまま、あなたの現実になるから。

あなた自身を生きることは、内的感覚から始まっているのです。

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今年に入ってから、エッセイやコラムにあたる記事を少しずつこのサイト上に増やしていってます。
noteを使い始めた2019年以降は無料記事も全部noteで書いてたのですが、自分のサイトも育てていきたく(旧サイトからこちらを開設し直して、二年が経ちました)。

なお、旧ブログ同様に、当サイトでも読者登録ができ、引き続きはてなブログのサービスを使ってます。
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