色々な幸せの感覚がある中で、内的な気づきがあったときに感じる幸せに、該当するものはない。
それは、自分の存在の本質にふれるもので、
存在のよろこびが鳴り響くものだ。
神のよろこびと言おうか、
この自分を通して知りたいことを知る、回路のつながる、発見のよろこび。
たとえば物理的な経験を通して「初めての体験・発見」があったとしても、それは「興味深い」「面白かった」で終わることが多く、
私が「内的な気づきがあったときのよろこび」と今書いてるものに、深さや質の満ちる感じが匹敵しないのだ。
内なる世界で得るこのよろこびは、
自分が自分の存在にまた一歩近づいたときのよろこび、
霞んだフィルターやunclearにかかっていたもやを、透明化できた実感のよろこび。
これを、このような本質的なよろこびを……人生でずっと見つめ続けていきたいと、心から思う。
先日も言及していた「直観旅」ですが、
こちらの記事↓で書いた通り、出雲へ出発前にはもう、次の目的地が降りてきていたのですが、
★直観の旅はまだ国内を指定!第二弾・出雲のご報告がまだなのですがぁ。
第三の目的地へ行く前に、私には物理的な旅行ではない課題があり、
順番としてその課題を満たした後に、第三の旅を実行すると知りました。
トントン、とあまり間隔を開けずに続けていた直観旅ですが、第三の目的地に行くのは第一、第二の目的地へ行ったペースよりはたぶん、開くことになりそうです。
それとも課題はあっさり短期で遂げられてしまうのかな!?(笑)