見えない領域でのあまりに多くの経験や、一般的には「ないこと」にされがちな情報・記憶を色々自分の中に持ってるおかげで、
「本当は、これを洗いざらい話したら(書いたら)面白いのだろうなー」
と思うことのストックには事欠かないのです。
でも、それを必要最低限……もしかしたらそれ以下かな、しか、出さないのが私でした。
それは「今進行中の人生についてのもの」も含まれます。
つまり現代の時代的な集合意識に関わるものだけじゃなく、私のプライベートな進行や人間関係においてもそうです。ときどきそのことは、せつなさを含むんだよね。
全部は話せない、本当は、表層で話す以上に色々視えたり感じたりしてても相手にはそれを伝えない(セッションなどでご本人からの依頼がある場合は除くけれど、それだって、その時点で必要な範囲のみに絞られます)。
この点では、プライベートの方がより一層、気を遣うというのは言えます。
自分にとっても相手にとっても都合のいいことばかり感知してるわけじゃないから、そして私も情報をどう扱っていいのか、感知してる内容に自分の歪みが入ってないか慎重に吟味してるうちに、伝達したかったことの何分の一も渡せずに、その機会が遠ざかってしまうこともある……
まぁ、その分、自分の仕事上・活動上の発信は、無期限に自分次第でどうにでもなりそうなものなのですが!
それでも私が、慎重すぎるほどの姿勢をとるのは、どうしてだと思いますか?
過去になら私の「恐れ」でそのように控えてたこともありましたが、今はそうではないんです。
霊的な話……オカルトとか心霊、不思議、異次元、呼ばれ方は何でもよいのですが、それらを好きな人が興味を持ってくれそうな経験は、本当に多くあるんです。
まるで小説やゲーム、ファンタジー、映画に出てくるみたいな体験もね。
私は今回の人生において、ほぼ自分ひとりでそれらを理解し、独学、研究し、成長の糧に変換してきました。
(いつも言ってるように外界において補助や参考になった情報は多々あります)
その中で普遍のところや、「現代社会の今であっても役立てそうなところ」を抽出して伝えてきました。
「この物理世界を生きてると思い込んでいる状態にあっても、各々役立ててほしい」という思いからですね。
こういうスタイルになったのは、一匹狼を好んでいたわけではなく、ひとつは、同じ体験をしている人が私の周りに本当にいなかったからです。
そういう体験をしてそうな人が多く集まる業界にいた頃にもなお、その中で教える立場側のティーチャーたちと接触してもなお、そうだったのです。
あれ?意外と同じ人たちがいないな?
わかってくれる人がどこにもいないな?って。
私がときどき「あ、この人は私と近い!」「同じ体験してる」と見つけることができたのは、インターネットにおいてでした。
実生活では会ったことのない、ときに本名も出してない人が私と似た経験をし、きっと同じ非物質領域で仕事してるんだなとわかったりもする内容を書いていました。
そして、今この時期になると、スピリチュアルな分野に特に専業、仕事等で携わってない人であっても、私の体験を「わかる」「自分もそうだ」と感じる人がぐんと増えているであろうと思ってます。
……ええと、話を戻すとね、
そう、私が「そのまま語る」ことを避けてた理由はですね、
最近のライブ(この回とこの回、それぞれパート2まであるのですが、ぜひ2まで全部聞いてほしい!)で開示してる情報は、ものっすごく薄めて、
一部のうちの一部だけを、本当にぼかして話してるんですけど、
その方法をとるのは、人によっては恐れや誤解や「二元性のドラマ」のリアリティーにかえって入り込む可能性が高い内容を私が実体験しているからなんですよ。
この地球体験は現時点では、二元性のものの見方がリアルに感じられる感性・知覚が優勢で、もちろん個人差ありますが、
本質的に「分離」のリアリティーがいまだ信じられているんです。
これ全部、私の意識の中の世界で、私が夢見る人(クリエイター)と思えてます?っていう話なんです。
すべては自分の中にある反映だ……私こそが「夢見る者」だ、とわかることを妨げる方向の話なら、いっそ、必要なその時の最低限の内容以上はしない方がいいのかなと。
より一層ドラマに入り込んで、私は善の側であるとか悪の側であるとか、どう考えてもいいけれど、それって幻想だからね。
あなたは「全体」なの。
れっきとした境界のある、切り分けられる封鎖された個々があり、自分以外の力があり、それによって左右されている体験なのだというものの見方は……真に幻想なのですね。
この現実を現実とするなら、見えないあらゆる現実も現実よ
でも、この現実、あなたが今体験してるこの世界を現実とするなら、
私が語るのを控えがちになる「非物質領域」で視えてること、経験してること、
今この世で生きてる人も、そうでない人も、宇宙存在も、体のない存在もありますが、
みーんな現実なんですよ。
そうすると、なんというか……愛を目的としてではなく、
エンタメとか自分の人気取りというか「ウケ」みたいな目的で、
もし面白おかしくそこでの経験を語ったら、実際に「ある」存在たちの何かを自分の意図によって利用することにもなりえると思うんです。
非物質次元を知ってもらうために、最低限ご紹介するのはいいとして、
「こんな存在がいて、このように浄化した!戦ってやっつけた!」
「ある人にこんな禍々しいものが憑いていて…」
みたいな話は、たとえそれがエネルギー領域のことであったり、一般には認識されることが少ないからこそ面白いものであっても、
なぜ、そのような存在が、その表現で現れたのか
ある人はなぜ、そのように禍々しく感じられるほどのエネルギーを作ってしまったのか
その人と自分との関わりがそこで行われたのはなぜなのか
……などを理解しないと、本質的な意味がないじゃないですか。
自分の手柄?を悦に入って面白おかしく説明してるだけになるじゃないですか?
全部が「自分」なんです。
そのまま自分自身の姿(一般的な意味での鏡の関係)という解釈とは異なりますが、自分の心のカケラ、蓄積してたり信じ込んだりした観念エネルギーのカケラ、取り残した何かの一部、
自分という存在エネルギーを映してみたときの理解に必要な何かなんです。
今あなたが生きていてリアルだと思えるこの領域も、
非物質と呼ばれる領域も、
全部がわたし。
すべて、わたしの愛しい心象風景で、
呪わしいもの、失くしたいもの、ドロドロのもの、
どんなに病んで見えようが、イビツであろうが、恐ろしく不条理に見えようが、
私自身なんだと見つめてみませんか。
それはあなたの潔白性や、普遍の愛である存在を脅かすものではないのですよ。
そのことを思い出して。
これこそが、私の知っている普遍のメッセージの核心であり、
自分の源の、ずっと同じく在り続ける愛だけに気づけたとき、
それらの劇は全部がひとつの絵になってまとまって、わたしの中に還るんです。
もちろん、そうしたらほかの種類の楽しい冒険がはじまるよ!
だって、創造のシリーズはたくさん……無限にあるからね(笑)