今また新しい発見になっていることが多々あり、
その一部は、前回記事で紹介したnote★「新世界の自分として、創造とエネルギーの使い方に気づく」に綴ってますが。
統合された自分が、どういうものなのかがとてもよくわかってきました。
逆に言うと、これまでは「統合」と言いながらも、それがどんな状態なのか実感レベルではここまでわかってなかったかな。
それは、二極や二元の中での清さとか光、善とはあまり関係がないんですね。
(これは前からわかってたけど、まだ盲点になってるところが残ってたという実感。)
あまり…というのは、方向性としては統合された状態こそが私たちのナチュラルな状態そのものを指してるので、感覚はポジティブなものになります。
ただ、「二元や二極の中での概念」を採用すると間違えるよ。
私の今、まさに体験し感じてることを言葉にすると、
光と闇のどちらもが、「私」の中ではニュートラル視点の愛に変わってしまい、闇に見えるものも自動的に「普遍の光」に転換されてしまうというのが一番しっくりくるかな。
二極の中での清濁に見えるどちらかを排除しなければならないと考えてるときは、いずれの極を望もうと、そうでなければならないと、恐れていて。
どちらもが自分の中に(あるいは自分の反映である世界に)あることが見えても、何もまったく影響を及ぼさないとわかるほどに自分が定まっている。なぜなら自分自身が普遍の愛だから。
……という「ただそこにある気づき」が全面に行き渡ってるのが統合状態である。
なので、光~!とか善~!とか、清、聖!と、そういうものを意識して選んでる思考とは、だいぶ違うよ。
私が「まだ、盲点になってたところ」とさっき言及したのは、自分では意図的にそんなことしてるつもりがなくても、無自覚的に、
「こっちの方が望ましいよねっ」
って、そうやって二極の一方を、「実は、対になる一方を恐れるがゆえに」選んでる可能性はあるから、自分の内をよく見るといいよ。
あとは、自分自身の力を自分が行使してると知れば知るほど、何も脅威ではなくなるので、そこがポイントかな。
また近々、有料記事やライブでもこういう新しい視点からの話をすることでしょう。
私の中で、もっと定着が進みながら。
今日のところはプロローグ。