書くのが大変すぎて、かといって半端にふれたくないほど苦労を伴いすぎていて、いっそ出さないようにしてきた話題を開示することにしました。
かつてはブログ上でふれたこともありましたが、その話題を出すと……通常の読者さんではなく、検索から記事にアクセスした方々からメールで相談が来てしまう傾向もあり、
いいお医者さんを紹介してほしいとか、私もこんな状態になっていてどんなにつらいかとか、私の活動や個人セッションに関心があってのお話ではなかったため、
そうした方々に対して解決を願ってはいても、私が答えるのに適した内容ではなく、安易な返信も控えていたので、記事でその話題にふれるのもより控えるようになった……という側面もありました。
歯科での医療過誤から始まった噛み合わせ治療、そして矯正治療に至った話のことです。
ライブや記事では私の日常をお話ししてますが、「本当はこういう事情があったんだけど……あまりにも話が長くなるし説明が難しすぎるものなぁ」と考えて、ふれられずにいた背景があり、
でも、これを抜きに色々語っていると私の経験が本当の意味を失ってしまうのです。
このことはあまりにも私の人生に長年負荷をかけすぎていたし、多岐にわたって体験した苦しみが大きかったため、「こういう経験をしていた」ということを何かしら伝えなければ、私の行為、行動、表層だけ聞いたならば発言すらもが、
「ただの気まぐれなスピリチュアル系の人っぽい」
という感じに響く部分がなきにしもあらず。と思います。
例を挙げると、数年前からのnoteやブログを読んだことがある方は「なるほど」と、理解してくださると思うのですが、
●食への関心が薄れて、外食を含めて昔ほどは食事が楽しめなくなったこと
●好きだった旅行に行きたくなくなり、行っても体調を崩したり疲労したりしていたこと
●口腔内の苦しさに打ち克つため、あえてライブの「音声」という方法に挑んだこと
……すべてが、部分的にでも以下のことに関係していました。
「2010年に一般歯科で医療過誤にあい、片側の上下6本の歯を承諾なしに少しずつ削られて、噛み合わせが狂い、あちこち受診してもどうやっても元には戻せないまま何年もかけて歯が動き、
やがて以前はまったく問題なかった歯列や咬合の状態が変化して、矯正治療以外に治す手段が見当たらなくなったこと。
矯正治療に踏み切るも、治療は難航し、当初の話とは違う結果に…。
結局、予定の期間を過ぎても仕上がらず、そのまま放置もできない状態になっていたため転院が決定。2つめの矯正歯科にかかり、そこで矯正を終了(装置を外した)した後に、自分の自然な状態よりもだいぶ歯列が広がりすぎたたことや、新しく作った咬合によって口が閉じづらくなったこと等、新たな問題が生じていることに気づく。
その医院で相談・経過観察しながら、アドバイスのままに歯を削る咬合調整などを繰り返しても解決せず。
最終手段として再矯正を考えるに至ったが、身体面を含めて諸々に限界があったため、少しずつ歯を削ってスペースを作りながらマウスピースで歯を押していく矯正治療をして、それはなんと2023年の12月頃までかかった」
……ふー、ぜえぜえ。これでも相当簡略化してます。
なんとまる13年間ほど、私はこうしたことに関わっていたんですよ。
物理的な時間やお金、そこに費やしたエネルギーはもちろんですが、
とりあえずもう、これ以上は本当に無理!不便でも私はこれで生きようというポイントまでは到達した現状から見ても、「身体的にも」失ったものの方が得たものより多かったです。
私はすべてをスピリチュアルな視点、意識の観点、内的なとらえ方で見つめるということは常に続けてきました。
あと心の力の訓練や、同じく苦しい思いを経験している他者への「本当にわかるよ」という実感を伴う思い、
それらは途方もなく深まったので、ヒーラーとしては役立ったのかもしれません。
この経験から得た普遍の気づきは多々シェアしてきました。
どんな人の、どんな状況にでも活かせるような形に変えて、ですね。
個人の人生としては、私の場合は外から見てわかる疾病や症状とは異なるので(本当は、世の中にはそういうものだらけですよね)、どんなにつらくっても他者にはわかってもらいづらく、また体験として少数派でもあり、
まして、最終的に受けることになった矯正治療というのは、美容や機能面において「ポジティブな動機で、自分がやりたくてやる人」もたくさんいますから、私のようなケースはなかなか理解されづらかったです。
現存する記事で、一番詳しく説明してたのは、このときかな。
★「矯正器をつけました~歯のエピソード、その後~」2017.3.13
それと、言うまでもなく、2017年以降の講座に参加してくださった方は、私が矯正器を歯につけていた姿を記憶していることと思います。
ちょうど講座を定期開催していた途中から矯正を始めたので、以来、いつも講座終了後には口の中が傷だらけになっていたんですよ……
講座ではぶっ続けでしゃべりますので、それに参加者の皆さんと一緒にたくさん笑ったりもしていたから、どうしても器具によって普段以上に唇の裏や口の中があちこち傷ついてしまっていたのです。
翌日は、口腔内の痛みで寝込んだりしたこともありました。
人知れず(家族は知っていた)苦労しましたが、でも、講座は楽しかったのでいい思い出です。
経緯も含めてあまりにつらく苦しかったし、また、なかなか解決しないこと、やっと終わると喜んではそうならないことの繰り返しで、こういった心情を家族以外にそのまま表現することはできませんでした。
今は、前述のように、これらの背景を語らねば、私が近年の生き方、過ごし方でどんな制限を抱えていたのか説明できず、それをどう乗り越えてきたかもシェアできません。
膨大な情報になるのをどこまで簡略化しようか、どんなポイントを伝えるのがいいのか?と考えていて、
まずは予備情報として、他の方のケースからで恐縮ですが、
同じくスピリチュアルな分野の方で、なおかつ私の体験ととてもよく似ていた記事のリンクを載せておきます。
いずれも寺尾夫美子さんというヒーラーの方の過去記事なのですが、私が会社勤めをしていた頃から仲良くしていた友人が、あるとき寺尾さんのヒーリングの講座に参加しており、その体験を楽しそうに話してくれたために私は存じ上げていました。
私自身はお会いしたことはありません。
【「上用賀便り」サイト様の記事よりご紹介】
〇【間違いだらけの歯科矯正】健康な歯を削る? - 上用賀便り
また、直接歯の話題ではないですけれども、こちらの記事で言及されている心情も、よおぉく私にはわかります。
〇久々のじっくりプラクティス - 上用賀便り
これらの記事を見つけたときにはとても驚き、心強く、
私は気力的にも経済的にも当時とてもできなかったことですが、寺尾さんは裁判(結果としては調停)をするなどご自身の主張や思いをパワフルに形にして行動される姿に励まされました。
というのも、物理的な事情のほかにも私は、かつては自分の保持していた自己否定の気持ちや罪悪感から、
……こうなったのは、私に何か落ち度があったのだろうか、
受け入れなければ、
耐えて前進しなければ、
仕方のないことだとあきらめて今できることをするしかない……
という風に、考えがちでした。
たとえばコース(A Course In Miracles)など私が学んでいた内容の応用も、その方向で使いすぎていた可能性があります(書籍がそのように推奨しているという意味ではありません)。
でもですね、やはり内なる自己とつながり続けていくうち、そういう思い込みは変わっていくんです。
根底で自分は「無力である」と思い込むことと、受け入れることとは違います。
私は、今ではその違いがはっきりわかります。
そのように私が変化していく中で、ひとつエピソードをシェアさせてください。
昨年の夏のことでした、
久しぶりの個人セッション(エネルギー現象相談)を受けてくださった、旧知のクライアント様がいました。
ご本人の許可をいただいていないので内容は書きませんが、
もし読んでくださっていたらご本人にはわかるように、むかーし、旧ブログにコメントくださったとき、私の創作物語からとって「☆さん」という仮名を使って書き込んでくれたことがあったので、☆さんと記しておきます。
☆さんは、やはりどこか私に似た部分があり、どちらかというとご自分のことを責めてしまう傾向がありました。
ご本人がおっしゃってたのですが、様々な状況に対して責任を背負いすぎるというか、
「私なんかが生きててごめんなさい」
のように考えてしまいやすい方だったのです。
(実際にそのような死に繋がる行為をするという意味ではないですよ、心の中の思いのお話です)
ところが、昨年はある苦しい出来事を通して「そこまで言われる筋合いはないな?」と気づく体験をなさり、ついに、そのとき受けた暴言に対して「受け入れず」、
「……死んでやらない!!」
と、思ったそうなのです。
私の書いている表現は正確ではないかもしれませんが、要は、これまでだったら☆さんは、
「生きててごめんなさい、私なんか死んでいなくなればいいのかも……」
と思うような気持ちに傾くところを、
「……生きてやる!」
と、かえって強く思ったという、大転換のお話をされていました。
そのときは個人セッションでしたので、私はご相談を受ける側として語るのを控えたのですが、
☆さん、私もその当時、時期はズレていましたが、似たような転換の境地に至った後だったのですよ!
それもあって、セッションの中でお話ししながら一緒に笑えて、うれしかったです。
どんな苦しみがあっても、それはあなたに存在価値がないというわけではないのです。
創造者としての自分を考えるあまり、「自分責め」に陥らないようにね。
むしろ、そうした状況があって初めて、自分が自分をどんなに責めていたかや、自分を大切にできていなかった側面に気付けることがあるんですよ。
というわけで、これから私は「書くのが大変すぎた話題」を開示していくつもりです。
重たかったり苦しかったりした経験でしたが、それをスルーしていると、私の本当の心をお届けできないと思うからです。