この間、2月2日のライブ配信で出雲族やニギハヤヒ、本当の天照大神についてふれていくお話をした流れで、旧ブログ(「BEATS AND LOVE」)内で古代の歴史について、2015年から書き始めた私の記事を振り返るリンクを入れました。
★旧ブログ内のカテゴリー★日本神話や歴史その他★
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それで気づいたのですが、2015年のお正月に見た夢がきっかけで私は古代日本のことを調べ始めたので、その記事を書いてた頃からちょうど十年後が今なんですね!
今この時にニギハヤヒの封印がとける!という感触。
なんだか、はからいを感じます。
【ニギハヤヒの封印がとけること、私が先日見たヴィジョン】
★にぎはやひ、龍のヴィジョン(2月2日のライブ配信後記)
ライブでもお伝えした通り、一般的な意味での詳細の検証は私はできません。
歴史を証明することは私は門外漢で、そちらからの探求・アプローチが目的ではないです。
それでこの話題からしばらく遠ざかっていたのもありますが、
でも今は、私がエネルギー的に感じること、私自身が内で見ているヴィジョンは、そのままお話ししていこうと決めました。
エネルギー的にはスサノオとニギハヤヒは同一
まず、この間の記事で説明したヴィジョン以降、私にとって不思議だったのは、ニギハヤヒのことを考える度に「スサノオ」に繋がることでした。
それでいつも「あれっ?」ってなるのです。
内的な体験なので説明がしづらいですが、たとえるならば、
意識の中でニギハヤヒにアクセスすると毎回スサノオが出現する
という状態だと思ってください。
そしてそれが、代理とか別存在による取り次ぎということではなく、スサノオがニギハヤヒであるという感触なのです。私にとっては。
もちろん、家系としてみた場合に、スサノオの子孫としてのニギハヤヒを考えることは簡単です。そのような歴史上の考え方はあります。
でも、私が面喰ったのは、仮にそうではなくエネルギー的に本当に同一なのだという示唆をそのまま受け取るとしたら、
スサノオのシンボルはご存知の方も多い通り「牛」で、
かたやニギハヤヒは私自身が体験したヴィジョンではシンボルが「龍」であり、
牛と龍のこの二つは違う種族なのではないか?と思っていたからです。
それはかつて旧ブログの中で記事にした通り、人類を創ったアヌンナキの王族の
エンリル(牛)とエンキ(龍)
のシンボルを私が思い浮かべていたからです。その二派があると。
(それについて言及した、2017年10月の過去記事です)
☆エンキとエンリル、日本にも受け継がれている象徴 - BEATS AND LOVE
……となると……、
私の内的経験を元にするなら(自分が信じてる理屈と異なることが出てくるときほど、その直感やヴィジョンは信頼してみるに値するという経験から語ってます)
ニギハヤヒ(日本の大元の王。本当の天照大御神に該当)にアクセスするとスサノオが出てくるということ、それは、
牛と龍のシンボルは同一であることを示している。
つまり、太古の人々が「神」と見なしていたアヌンナキ(※アヌンナキとは地球外の存在で、地球由来の生物と自らをかけ合わせて人類を作った祖先)という大元のルーツそのものを指している。
と、今は理解しています。
受肉した体を想定したときに、それぞれ別の人物として存在したかどうかはさておき、
少なくともエネルギー的にはスサノオとニギハヤヒは同一
と私は見ることになりそうです。
ほかにも、次のライブでは、本当の聖徳太子についておさらいしようかな?
……とか、
そうすると蘇我氏の誤解をとく話が出てくるね……とか、
いずれにしても今、この話題がエネルギー的に重要であることを感じています!
私たちの本当のルーツを知るとき、日本という比較的狭い枠組みもそのまま、もっと大きなルーツを示す「フラクタル(自己相似形)」であるに違いありません。
それは日本という国が特別という意味ではなくて(その種の主張をする人がいますが、私はそうは思っていません)、各国、どのエリア、どの文化に属する人であっても、
自分の今いるところから「答え」は見えてくるということですよ。
(前回2月2日のライブはこちらです。実はトーク内の「鬼」というキーワードにも意味があり、意図せずして節分当日に語っており、これも「はからい」ですかねぇ)↓