masumiのbehind the scenes

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内なる次元がリアル・見えない世界を見ること

あなたの見るところ、こっち、こっち、という感じで顔の両サイドを手でやさしく押さえられ、ぐるっと視界を向け直されたその方向は内。
そうそう、目線は自分の内に向けなきゃねって、内なるガイドに促されたようだ。

えー、私いつもそうしてるよー、なんて言い訳は無駄ってわけで。
全部は見てないでしょ、ほら、ここ、と、私の「恐れ領域」にライトを当てられる。
やめてやめて、そこだけは、まだ見たくない。
その領域にはまだ蓋を開けたくないものがあるのー!

すると、内なるガイドに静かに問われる。
では、あなたは自分の能力を一部制限する形で使うことになりますよ。
今後もそうしていきたいですか?
お選びなさい。

……はい。これは劇のようにデフォルメしてみた、自分の中で近頃起こっていた進行の描写でございます。

一般にいうセラピー的な意味としてではなく、自分自身の中に暗がりとして残していた箇所を見ることは絶対に必要で、なぜならば「見る力(霊的な視力)」に影響するからです。

それは見えない世界を見る視力、内なる次元を体験する能力全体に影響を及ぼします。
ここでは「見る」という視覚的表現を便宜上使っていますが、実際は知覚のすべてを使います。体で感じ取れる以上のものが霊的知覚としてあると理解してください。

一般にはサイキックとか超常的な力のように思われがちですけれども、実はシンプルなことなんです。
すべて、自分の内なる次元(内側)を見る能力だということです。
誰にでもその能力があるのはもちろんですが(でなければ「この現実」と思っている物理的体験ですらできません)、
どれだけそれを日頃から広範囲で使っているかには個人差があります。使えるということを知らずに、結果としてその能力をおざなりにしている人も。

私はその種の能力や感受性を仕事にも使う人生ですから、恐れによる「見ない」姿勢は自分で気づく度に取り除いてきました。
そうでないと、自分にとって「見えない領域」を作ってしまうからです。

この話を聞くと「自己の外側(この現実)にある怖いものを見ないようにする」ことを思い浮かべる人がいるかもしれませんが、「外側にあるように見える現実」というのも(それが物質であれ、非物質的な何かであれ)完全に自分の内側の反映です。

つまり普段あなたが慣れ親しんでいるであろう物理的世界の現実も、非物質的な、見えない世界と呼ばれるような現実も、同じところから発生しています。

見えないものが見えたり、超常的能力と呼ばれるような知覚が使えたりということは、内にある動きや体験を自分がキャッチして、この現実に役立てることができる(両方の世界を同時に使える)ということにすぎません。

これを理解すると、「自分の内側に見るのを避けたり恐れたりしているところがあると、常にその領域を避けたり歪めたりするので、フルに自由に能力を使うことはできず、制限した形で使い続ける」ということも腑に落ちるでしょう。

いわゆる精神世界、非物質的体験でもそうだし、当然こっちの現実(物理的体験)も同様に歪んだり偏ったりしますよね。

そうはいっても私たち、ほとんどの場合は視野を狭めて狭めて極小にしてこの体験(人生)を送ってますので、「拡大」していくというのは地球体験参加者に共通の潜在的ミッションのひとつであり、人間である以上誰にでもその歪みや偏りはすでにあると言えます。

それをそのまま持っていたいか、気づく度に外していって拡大したいか。
気づく度に外していくなら、いずれ地球体験の枠組みから「出る」ことになります。
その経過としては「新しい地球」を体験するというプロセスがありますけども。

これを私は「地球遊園地の中で遊び続けたいか、出るか」と呼ぶことがあります。
ライブを聴いてくれてる方にはおなじみの表現ですが。

私(masumi)は霊的自己としては「出た後の状態」を知っているし、そこから来ているという自覚があるので、この人生で「出られないのじゃないか」という心配をすることが実はありません。
この意味では、私自身のゴール設定は「ただ出ること」にはないのです。

そうではなく、過程にある様々なミッションをコンプリートできるのか、私が選んでるここ(人生・地球体験)での研修内容と学習課程を有意義に扱えるか。
そのことは留意しています。

ですから私のものごとの見つめ方は、現状まだマジョリティーになっていそうなものの見方とはきっと異なります。
人間関係でも仕事でも暮らしも出来事もみな、魂的目線で必ず見ています。
私がこの体験で何をしているのかを、その「目」から。

けれども、冒頭に話を戻すと、いわゆる霊的視力や感受性からヴィジョンをよく見るタイプに起こる試練としては(もちろん本来それは全員にありますが、個性としてその能力が自然に強い場合)、
「自分が見たいものだけを見たいのに、見たくないものも見える」
ということです。

もちろん本来、それすらも自分で完全にコントロールしてるのですが、
そのように自覚できる前の、この現実内の本人の感じ方として「見たくないものが見えてしまう」ことをセーブするためにどうするかというと、「自分の見ること自体を制限する」という形でです。

自分の中に避けたいもの、怖いものを作ってしまうと、それを見ないために、霊的視力も閉じなければならなくなります。
それは、さっき説明したように、本来は「自分の内を見る恐れ」です。
外に見えるように感じられるものは「自分の中にある」からです。
体験の源はすべて自分の内だからです。

さらには、このことも知っておく必要があります。
見えるものは、意味があって見えています。
そしてあなたは見えるものに「支配される」存在ではありません。

あなたがそれを創造的に使うためにあります。役立てるためにあります。
「あなたがどんな存在であるか」の真実に基づけば、どんなものも変容させることができるのです
結局それは怖いものではないということがわかりますよ。

幽霊の 正体見たり 枯れ尾花

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