先日のライブで「呪物」と私が呼んでたものが一体何だったのかを説明しましたが。
あの回を「封印をとく話」というタイトルにしたのはただのひらめきでしたが、本当に私にとっての封印をとく行為だったのでしょう。
なぜなら、他の誰かの見解ではなく、本や学習内容自体についてでもなく、私自身がコース全体をどう見ていたか、
最小限に伏せられた霊的能力や、自らの恐れによって男性原理の型や見かけに収まる体裁をとった女性原理のパワーや、思うようにならなかった計画や、たくさんの調和と癒しも見えながら消えない対立や、諸々……
それが象徴していたのは私にとって本当はどういうものだったのか、ということを声に出して語ったわけですから。
あれから1日半以上が経って、私に対し強い引きのあった「呪物」と表現したパワーの側面が(本自体や教えではなく)、
私の中に返る
という現象が起こりました。
これらの現象は、私はヴィジョンとエネルギー世界で見て体験しています。
私は今朝、日常の活動をしていたのですが、ふいに、
あっ、呪物のエッセンスが今、私の中に入った!
なんと、その属してる先は、私の中だったんだ!
と、その現象に気づいたのです。
その直前に私が心の目で見ていたのは、「タタリ神」の呪いが腕に入ってしまったアシタカ(映画「もののけ姫」の)みたいな自分というヴィジョンでした。
これまで私は、この呪いを抑えるためにどれだけのパワーを使ってきただろうか?
と、そのイメージを体験しながら考えていました。
抑えても抑えても出てくる呪い。
呪いに宿っている怒りや憎悪、悲しみと感じられるエネルギーが噴き出しそうになると、ちょうどアシタカが腕から四方八方にぶわっと噴き出しうごめく呪いを手でぐっと抑え、心をひたすら鎮めようと耐える様子みたいに……苦痛とともに抑えていたのだと。
そういう内容のヴィジョンでした。
それを見ていた後に、呪物のエネルギーが私の中に入っていったのに気づいたのです。
(ライブを聴いてない方に説明すると、コースにまつわる、私の感じていた謎の「強烈な引きのエネルギー」を呪物と呼んでます。詳細はアーカイブを再生して聴いてください。)
離れたい……
捨ててしまいたい……
と度々思うこともあった呪物のエッセンスは、私の中に属するものだったのです。
それをもう外のものとして見る必要がなくなったので、今は私の中にあるのです。
それは、使いたくて使いたくて使いたくてここ(内)にあるのに、使わないように使わないように抑えられたマジカルな力でした。
自分自身を、自分が封印し妨げることへの怒り、悲しみ、絶望、そうなることへの憎しみを呼び起こしました。
でも。
これを解禁してしまったら、誰かを、何かを傷つけ、自分自身も破壊してしまうことになるだろう。
何かを……何かはわからないけど、元に戻れなくしてしまうだろう。
だから出してはいけない。
壊れてしまう。すべてが!
言葉にするとしたらそういう感じで、抑圧して抑圧して絶対に出さないよう、使わないようにしてきた何かです。
いえ、自分の思う安全圏内なら、論理の装いの箱の中でなら、許可して使ってきたのでしょう。
でも、そんな制限ができるものじゃないんです。
それを抑えるのにどれだけ苦労しただろう?
それと対立することで、どれだけ私は闘っただろう?
それが出てこないように、それを無いことにするために、蓋をするために、引き裂かれるような思いと痛みを、幾度繰り返しただろう。
意識のパワーは存在する。
私たちの魔法の力は存在している。
私たちは今も創造していて、無力さから「有力へ」自分を引っくり返すことを恐れている。
だけどもう、それは抑えられないのでした。
外にそれがあると見て、外からの「引き」として、自分から離しておくことでは限界がありました。
そのパワーに。
流れさせなければ。
その力を、行きたい方向に向かわせなければ。
でなければ私は壊れる、というところまで来てやっと、外に見ていたものが中に戻ったのです。
その「強烈な引き」は、私に属するものでした。
外の何かが私を呼んでいるのではなく、私自身の声だったのです。
私が、私の中にある、その能力を小さく小さくして、「呪い」として切り捨てようとすることを阻止するために。そうすることから私を守るために。引き戻すために。
どんなに遠ざかろうとしても、
無視しようとしても、
心に蓋をしても、
実際に離れても、
それは呼び続け、私を引き付け続けました。
なぜなら、その力は、私のどうしてもなくせない望みやよろこびから発せられていた輝きだからです。
私は、そのパワーを、良くも悪くもなくただ授かっているパワーとして、自由に、恐れず、使いたかったからです。