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霊的感性の進行表・コミットの時!

人生の進行について自分で漠然と知ってることがあって、理路整然と計画表のように何かを思い浮かべてるということじゃなく、
また、一般的な意味での「望み」というのとも感覚が少し違う気がします。

それこそ魂の道と呼びたいもので、「そろそろこの時期に入らねばならない」みたいなことが自分でわかるんです。
人生全体を知ってる自分の目線でね。

そして私が何か重要な決断をするときは、先に「これありき」で、自分の知ってるそのヴィジョンに見合うかどうかで判断しています。
(だからたまに「未来から今を逆算してる」という言い方をしてました、ライブなどで。)

そうですね……この感覚をたとえて言うと、きっとあなたも季節の移り変わりを何らかの形で感じますよね?
きっかりくっきり「いつからがこの季節」と言えなくても、肌で感じたり暮らしながら実感したりしてると思います。

私は、それに近い感覚で?自分の人生の中でそろそろこの時期だとか、いつ頃にはこういうエネルギーの自分になっているだろう、ということがわかるのです。

もちろん、「並行現実」というたくさんのバージョンがありますので、確実にいつ、こう、という特定はできませんが。
大局的には、自分自身のエネルギーを見ていれば、ある程度わかってることがあります。

私は今「ははーん、あれについての、そろそろコミットか」と感じてるものがあって。

その「あれ」というのは、いつからかうすうす自覚していた自分の霊的感性の進行表のことなのです。

もっと!非物質(霊的)次元の「使い」になっていく

これは2月16日のライブでお話しした私のヒーリングの情熱にも関わる話なのですが、
私は人生のあるポイントに来たら、以降は今以上に霊的な感性をもっと専門に使っていくという可能性を自分に与えています。

魂の計画というか、それに向けて自らポテンシャルをどんどん上げていってるという実感があります。

近頃の記事の流れでは、私の個性にとっての「ダイナミックな方向性のチェンジ」の気づきをシェアしてきました。

具体的にいつからと指定できませんが、記事の流れとしては、2月9日の
【ぶっちゃけ話】超越しながら降りてくる・精神的な浄化の吹出口を担うこと

…この記事あたりから明確にその気づきに言及をし始めて、
その後は記事上でもライブでも、いくらかそれにふれる話をずっと続けてきてます。
(順を追って辿ってみたい人はブログ記事一覧や、サイト内の年・月ごとのArchivesからどうぞ)

これが、どうしてそんなにも私の人生に違いを生むかというと、その、自分の知ってる
霊的感性の進行表
において、私が見つめているあるポイント(具体的な年齢もおおよそわかっている)に向けて、色々な変化が起こってくるであろうと予想してたんですが、

「そうなったときの私」を先に知ってる者としては、
「これまでの私(過去)」と「そうなったときの私(未来)」を同一のものとして繋ぐためには、今までのやり方、霊的世界の扱い方ではまだギャップがあったんですよ。

けれども、最近の記事やライブでお話ししてた通り、理解の土台やセオリーといった面では「ブレのない」「信頼のおける」ことをずっとやって来てはいたので、

自分で思い当たる転換ポイントというのがなかったし、何をどう変えればいいのかも自覚はしてなかったのです。

それが、自分の感じてることをどれだけ制御していたかを理解してから、両者のギャップを繋げるあり方が浮かび上がりました。

いやー、以下のことも、確実に知ってたといえば知ってたんですが(笑)、
特定の宗教や教義のための……という意味じゃなく、

この人(私)は、いわば神の道をやるようになってるね。
非物質次元をもっと専門的にここに現す媒体をするよね。
ということです。
(神の道というのは、ほかにいい表現が思い浮かばなかったから使いました。ある見方からすると、どんな人生もすべてが神の道とは言えるのですが。)

上述の通り、何らかの既成の概念に従って出家するとか修行するとかじゃなくて、
私の中でキャッチしてるもの、みてるもの、きいてるもの、感じてるものを、

もっとそのままアウトプットする必要があります。
それをどなたかへ役立てられそうな際には「自分の恐れやジャッジをはさまない」、
そして「自分がどうなるかという心配をしないで、ただやる」。

これは公私に分けられるものでもなく、生き方としてそういうことだったんです。
そうでなければ、その気概がなければ、その活動はできないんですよ。

これまでもそういう方向のことをしてきた、歩んできたとは言えるけど、
まだ、ヴェール一枚はさんでたという感じですかね。

そうなってたのは私が、「自分自身の純粋な叡智から以外の教義による理想像や正しさ」もくっつけて、その枠組みにおさまれるよう、自己の感じることを調整してきたからです。

ま、できなかったんですけどね!そんな調整(笑)結局は。

ということで、
今年に入ってから再度言及させてもらってた古代日本や神々のトピックも、大義的にはこうしたことの中にどこかおさまってくるのではと思います。

私に語りかけてくるものたちに対して、もう拒絶はできない。

これはワクワクの世界がより一層広がることであると同時に、
それまでの私の中で「ネガティブ(まるで欠点、この物理的体験世界をフツーに生きる際には負荷になってる)」と自分で感じていたものを、

思い切って「全部」使っていく!

そう、よろこびとともに自分にコミットする時なのでした。