私の最近あった大きな変容のOutcome(結果、成果)は、
「これまで自分が内で知っていたこと」をそのまま認められるようになったことだ。
言い換えると、自分自身を信頼できるようになったこと。
私が内で知っていることと外で見ていることとでは、あまりにも違いがあり、
私自身の知っていることは、ともすれば「非現実」におさまってしまう夢のような内容にすぎなかった。
もちろんそういう評価を下すのは最終的に自分自身であるとしても、
時代的にも、集合意識的にも、それをそのまま表すには早すぎた。
それがやっと、私にとって、
「もういいんだ」
「私の知ってることをそのまま生きていいんだ」
「ほかの自分になろうとしなくていい。自分の内が語ることをそのまま信じていいんだ」
という風に変わった。
それは単純なことだった。
私が私を信じるというそれだけのことだった。
それでも、これまでは難しかったのだ。
外のリアリティーを凝視したら、そちらを信じることの正当さの方が強大に思えた。
そのことが苦しい、苦しい拮抗する流れになってしまったのは、
自分自身の内が「決して、あきらめてくれなかった」「黙ってくれなかった」からだ。
外のリアリティーがこうじゃん?しかたないよ、
なんていう言い訳には全然乗ってくれなかったからだ。
なくなってくれない……なくせない……私の内が語ることを私は無視できない。
自分が自分の知ってることに従うのは、なんて楽なんだろう。
それも全面的にそうできると、自分で認めることは。
知ってることにさからうとき、苦しくて、苦しくて、苦しくて、
どうしてこの葛藤はなくならないのか?消せないのか?と戸惑う。
終わりのない戦い。
どうやっても「取れない恐れ」のように思えて、どうすればこの恐れをなくすことができるのか、処理できるのかと悩み続ける。
答えは簡単だった、
それは恐れではなくて、
自分の知ってることを否定しようとするあなた自身のパワーなんだよ。
あなたが知ってることをそのまま認めれば、
それが「素晴らしすぎる!」ということで却下しなければ、
自分がそれを生きられることを認めれば。
あなた自身の作ってる「拮抗」は役目を終えて、なくなるんだ。