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ヒーラー・スピリチュアル講師・物書きmasumiのサイト

誰か代わりにやってくれないかなあ!?(って冗談)

心の中にある、できればスルーしたかった諸々のこと、
いや知ってるよ
と言いたくなるような内的あれこれの取り扱い方針を変えました。

冷やし中華はじめました
みたいなノリで、心の中の扱いの話してますが大丈夫ですか。

最近までの近年の私の方針は、自分の意識の明晰度をですね、もう常時バリバリにアップして、そのヴァイブレーションによって自分の意識の中の詳細も全面的に一気にごそっと次元上昇させちゃう的な。

たとえていうとですね、一個一個に取り組む代わりに、私自身の意識をもう、スーパーに、スプレンディッドに(splendid: 素晴らしい、見事な)全体として底上げすれば、それらもまとめてぜんぶ調和した素敵な何かになっちゃう!みたいな。

そんな一括効果を期待する進行になっておりました。
いや、それがあったからこその、次なる展開だとは言えるのかもしれませんが、

最新のライブ配信(7月3日のアーカイブ)で語った通り、現在の私の内なるニーズはそこを指していませんでしたね。

私がひとつ自分を褒められるとしたら、正直に心の状態を見る(差し引きゼロで直視する)姿勢があることです。
というか、少なくとも今はとっくにもう、自分をごまかせないんですよね。気づいてしまうので。

一気に底上げ作戦は、何か私の中に「余り」を出してしまってたようで、まるでシーソーが傾くように、心の重りがあっち側に傾いたと思ったらこっちに傾く、といった具合で。
二極性そのものじゃん
という様子をしばらく観察し続けた後の発見でした。

ああ、これは、もっと高く浮上するのにまだ見る必要があるお荷物、あるよね
って認めざるをえず、意識変化の一括効果に期待しての方針は変更となったわけです。

といってもね、過去にもやってきたんですよ。そうした心の中での丁寧な作業は。
心のお掃除的な?デトックスどころか、大振り返り、大浄化大会みたいなやつ。
必要に応じて自分で。人生を歩みながら、その都度やっていたという意味で。

それでもなお、まだ、向き合えと。
私の心は無限郷ですか?と、妙な名称もつけてみたくなる。
いや実際、心の中は無限の世界を映し出す。

無限の中でこの人生の私が今、直視する必要のあるものは、鏡の前面に見えるように映し出されているという様子で。

救いは、以前よりはこわくないこと。
ひび割れた鏡のように、元々ひとつだったかけらたちが、断片化した私をそれぞれ映し出していたとしても。
愛情や、楽しさすら感じる。心の中にある彼らの声をきくこと、見つめることに。

そう、今はちょっと面白い。
だって知ってたから、
本当はこんなこと思ってる。
実際にはこんな声を上げている。
数々の私の一部である、私の中のかけらたちの様子を。

そこに囚われさえしなければ、自分が一体化しなければ、
フィクションの登場人物たちのせりふや表現を楽しんでいるようなものだ。
目をそむけなければ、かえって、そこにつかまらない。
「つかまっちゃう」と思うとき、恐れることでエネルギーを注いでいて、目をそむけているにも関わらず一層その効果は増すのだから。

それはそうと業務連絡的なところでは、noteで過去に公開してた記事のリバイバル計画が進みません。
先月このウェブサイト上で有料記事を販売しますよというお知らせをした際、noteの方は更新しなくなる予定なので、note上の過去記事をこちらで改めて公開したり販売したりするという案を書きました。

それがどうも、今のところは食指が動かなくて。
記事は私にとっての作品ですから、ぜひこのサイトで再公開したいという気持ちがあったのは本当ですが。

なにかエネルギー的に、まだ両サイト……というより新旧の記事を混ぜずにそのままにしておきたいような感じです。
もしかしたらしばらく経てば、こちらで公開したいnote記事を選び始めたりするのかもしれません。

今のところは、noteで公開した記事はそのままnoteに置いておいて、note上で公開や販売をし続けております。2019年から2024年6月までの記事があります。

note.com

そちらもどうぞよろしく。